「馬関祭り」は毎年8月に開催される下関最大のお祭りです。2016年は、8月20日(土)~21(日)に開催されます。
 「馬関(ばかん)」とは、下関市の昔の呼び名です。

 
 

スポンサード リンク

 
 

しものせき馬関祭り(ばかんまつり)

 

 下関市は、明治22年の市制施行当初、「赤間関(あかまがせき)市」として出発しましたが、「赤間」の「間」の字に「馬」の字をあてて「赤馬関」、それが「馬関」となっているものです。

 

 『しものせき馬関まつり』では、下関駅前から唐戸地域、カモンワーフまで全体が夜市となり、あちらこちらで多彩なイベントが催されます。下関は昔から夜市等で賑わったまちです。まち全体がお祭り気分で賑わいます。

 

馬関祭-2

 

馬関祭-1

 

 下関市民はもちろん、遠くから来られたお客様もみんなが楽しみ、まち全体がお祭気分で賑わいます。

 

 お楽しみイベントは、日曜日の平家踊総踊り大会です。いまや世界的に知名度を高めた「平家踊り」を5000人を超える踊り手で会場を埋め尽くして踊ります。

 

 見るだけでも、平家踊りの魅力、太鼓のリズムの迫力を実感していただけると思いますが、やはり踊りの中に入って見よう見まねでも踊ってみるのが一番です。すぐに身体がリズムを覚えて自然に動きはじめます。

 

 また、朝鮮通信使行列の再現も行われ、信書交換式などを見ることができます。

 
 

平家踊り

 

 京の都で権勢を誇った平家一門も、源氏に追われ、ついに下関の壇之浦(だんのうら)で短い栄華の夢を閉じます。

 

 平家踊りは、この戦いで敗れた平家一門の供養の踊りに源を発し、加えて港町という地域性から全国各地の踊りが融合されつつ、現在のスタイルになったといわれています。

 

平家踊り-1

 

平家踊り-2

 

 軽快なリズムを刻む二上りの三味線と、高低二種類の勇壮な太鼓と空樽(からだる)からなる囃子方(はやしがた)をバックに、七七調を基本とした口説き節の音頭がリードします。

 

 また、踊りは、手を胸より上で交互に繰るような動きを基本としていることから「糸繰り式」と言われ、11拍子という奇数拍子で踊るのが大きな特徴です。

 

下関市の郷土芸能である平家踊りを広く知っていただくために、平家踊りを習ってみたい方、講習会を例年開催しています。

 

【平家踊り講習会】

 7月の「下関市報だより」等でご案内致します。

 下記は昨年の開催要項になります。

 ≪日 時≫

 「7月5日・7月11日」「7月19日・7月25日」いずれも14時~16時

  ※1日だけの参加も可能です。

 ≪場 所≫

 ・カラトピア5階大ホール  ・彦島公民館4階

 ≪定 員≫

  ・各日30人(先着順)

 ≪申込方法≫

  ・電話で下関平家踊保存会(事務局:観光政策課)へ。

  ・問合先 観光政策課 083(231)1350

 
 

スポンサード リンク

 
 

朝鮮通信使

 

 下関は、朝鮮通信使が初めて接する日本の都会でした。潮待ちや風待ちなどのため、必ず下関に滞在する必要がありました。対馬での易地聘礼(えきちへいれい)となった最後の通信使を除く16度の通信使が下関に寄港しています。

 

朝鮮通信使

 

 特に、倭寇の禁圧要請が最大の使命となっていた室町時代の通信使は、倭寇に影響力を持つ大内氏に下関において、必ず大内氏の歴代当主と対面し、倭寇禁圧や海賊が横行する瀬戸内での通信使船の航行安全などを要請しました。この時代、下関は通信使の成否を握る重要な地でした。

 

 通信使の下関での客館は、50人程度の人員であった室町時代は阿弥陀寺(現在の赤間神宮)、300~500人規模となった江戸時代は阿弥陀寺と引接寺が充てられました。

 

 阿弥陀寺では文化交流も盛んに行われ、防長の学者たちは朝鮮王朝一流の学者から、先進的な儒学や医学を学び、交流の成果を出版しました。江戸中期以降の防長(山口県)における学問の興隆は、朝鮮通信使がその一翼を担っていたといってもいいでしょう。

 
 
 

スポンサード リンク