長野県阿南町の新野の盆踊りは500年以上続く盆踊りで、神々を供養する盆踊りの原型とも言われています。
 男女合コンの場として発展してきました。期間は8月14~16日で、新野の盆踊りは国重要無形民俗文化財に指定されています。

 
 

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500年以上も続く静かな盆踊り

 

 盆踊りといえば、楽器に合わせた踊りが一般的ですが、新野の盆踊りは三味線とか笛や太鼓といった鳴り物を一切使いません。
 櫓の上にいる音頭取りの「音頭出し」と、その下で踊る踊り子の「返し」の声だけで踊りが進められる、素朴な盆踊りです。

 

盆踊り-2

 

盆踊り-1

 

 新野の盆踊りのはじまりは、定かではありませんが、室町時代の末期、1529(享禄2)年、瑞光院建立された時、開山祝いに三河振草村下田の人たちが寺の庭で踊ったのを見た村人たちが、毎年盆踊りをここで踊るようにしようといわれ、盆踊りが始まったと記録されています。

 

 現在のような輪踊りができる前は、新盆の家の庭先で、親類縁者や村人が集まって、精霊を慰めるための踊りをしてまわっていたといわれています。

 

 新野の盆踊りは8月14日から16日の3日間、夜通し踊ります。踊りの種類は、扇子を持って踊る「すくいさ」「音頭」「おさま甚句」「おやま」と手踊りの「高い山」「十六」「能登」の7つあります。

 
 このうち、「能登」は17日の朝方「踊り神送りの式」の間だけけ踊られ、それ以外の時間帯は、他の踊りを適当に変えながら踊ります。

 

 それでも、毎晩最初に踊るのは、「すくいさ」と決まっています。

 

 『ひだるけりゃこそ すくいさにきたに たんとたもれや ひとすくい』との歌い出しは、昔お盆に庄屋さんの家で米を振る舞い、それを「たくさんすくいなさい」という、食糧の確保が困難だった時代の農民の願いが、「すくいさ」の歌い出しの句にこめられているといわれています。

 

 踊りの開始時間は午後9時からで、15日と16日の朝は午前6時で終了し、17日の明け方に踊り神送りの式が行われます。

 
 

踊り神送りの式

 

 踊り神送りは、信仰と結びついた新野の盆踊りの特徴のひとつといえます。

 

 17日の明け方、市神様の神前で御嶽行者の先立ちで和讃を唱えます。このときに踊るのが「能登」です。

 

 櫓から切り子灯籠が下ろされ、太鼓を叩いて行列を作り、瑞光院とは反対側の「太子堂」まで行き、そこでまた和讃を唱えます。

 

 行列が瑞光院参道脇の広場まで行くために戻って来て、その先頭が市神様を通り過ぎると「能登」をやめなければいけない決まりになっています。

 

 しかし、盆踊りが終わってしまうのを惜しむ踊り子たちは、行列の進行を阻止しようと小さな輪を作って踊り続けます。踊りをやめさせようとする行列とのやりとりが新野の盆踊りのクライマックスです。

 

 広場まで来ると、切り子灯籠を積み重ね、その前で行者が呪文を唱え九字を切り、刀を抜いて道切りの式をします。花火が上がり、参列者が大声を上げて精霊を送ります。

 

 花火は、音を出すことで隣村へ踊り神を送ってしまおうという行事で、仏教伝来以前の「霊送り」の形が残されているといわれ、古い形の盆踊りともいわれています。

 

 最後に切子燈籠に火がつけられ、人々は「秋歌」をうたいながら、うしろを振り向かないで、もと来た道を帰っていきます。

 

 振り向くと悪霊がとりつくといわれ、人々は秋歌をうたうことにより、秋を早く招いて、悪霊たちにも秋になったと知らせ、悪霊の舞いもどるのを防いだといわれます。

 
 

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新野の盆踊りと信仰

 

 神仏混合の独自の盆踊りは、神迎え、神送りが1年の区切りという考え方に基づいて行われています。

 

 1年の前半が麦の月、後半が稲の月とし、1月の雪まつりで神々が祝福のために新野に訪れ、7月には祖先の霊が帰ります。

 

 盆踊りには精霊迎えの行事と踊り、神送りの古い信仰の形が残されています。

 

 新野の盆踊り、以前は毎年8月24日夜に行なっておりましが、現在は「うら盆」の、8月第4土曜日夜に行っています。

 

 新野の盆踊りは、神々を供養する盆踊りの原型として、精霊供養のための古い盆踊りの形を今に伝えています。

 

盆踊り-3

 

 また、新野の盆踊りは、男女合コンの場として発展してきました。新野の盆踊りは、国の重要無形民俗文化財に指定されています。

 

【開催日】:8月14日~17日・第4土曜日(うら盆)

【開催地】:阿南町新野

【アクセス】:三遠南信自動車道 天龍峡ICより車で約45分

 
 
 

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