蘇民祭(そみんさい)は、岩手県を中心に日本各地に伝わる裸祭りです。
1000年以上の歴史を持つと言われています。
黒石寺蘇民祭とポスター問題
1000年以上の歴史を持つといわれる蘇民祭は、岩手県内では毎年1月から3月にかけて複数の蘇民祭が行われ、岩手の蘇民祭の名称で国の選択無形民俗文化財として選択されています。
その中で最も著名なものは日本三大奇祭ないし日本三大裸祭りの一つに数えられることもある奥州市の黒石寺蘇民祭です。
★開催日
今年2016(平成28)年2月14日(日)夜10時から翌早暁(7時頃)まで
ところで黒石寺蘇民祭の2008年度ポスターが「女性客が不快感を覚え、セクシャルハラスメントに該当するおそれがある」として、JR東日本が駅構内での掲示を拒否するという出来事もありました。
黒石寺蘇民祭2016行事の内容
★裸参り--午後10時から
厄年連中、一般祈願者、善男善女が鐘の合図で社務所前に集まり、各自角燈(四角ともいう)と割竹にはさんだ浄飯米(おはんねり)を持ち、瑠璃壺(るりつぼ)川(山内川)で身を浄め「ジャッソー・ジョヤサ」の掛け声で、薬師堂、妙見堂を巡り、五穀豊穣、災厄消除の祈願を行う。
★柴燈木登り(ひたきのぼり)--午後11時30分から
鐘の合図で行列をつくり腰をかがめて、「イヨーイヨー」の掛け声で、柴、たきつけ、ごま殻、塩をもって進みます。
本堂前に前日に境内の山中から採れた生松割木(長さ5尺に切って二つ割にしたもの)を井桁に3メートル以上の高さに2箇所(昔は3箇所)積み重ねて火を焚く、若人、群集は裸になり柴燈木の上に登って火の粉をあびながら山内節をうたい気勢をあげ祈願する。
★別当登(べっとうのぼり)--午前2時から
鐘の合図で社務所に集まり、手木(祓棒)が祓人(はらいびと)に配られ、別当(住職)並びに蘇民袋を捧げもった総代が守護役、祓人に前後を守られ、ホラ貝、太鼓等を従えて薬師堂内陣に登り、護摩焚き供養を行い、参拝者、祈願者に護摩を授けます。
★鬼子登(おにごのぼり)--午前4時から
檀家の7歳になる男子2名に麻衣を着せ、籠手をつけさせ、木槌(さいづち)を持たせ、鬼面を逆さに背負わせ、素裸で水垢離(みずごり)をとりとった大人に背負われ薬師堂に登り、参拝します。
★蘇民袋争奪戦--午前5時頃から
鬼子登りの式が終わると、蘇民袋(そみんぶくろ)争奪戦(蘇民ねじり又は蘇民びきともいう)が始まります。
五穀豊穣、無病息災を願 って故事にならい、疫病の護符である將軍木(かつのき)を削って六方形とし、毎方「蘇民將来子孫門戸☆・(そみんしょうらいしそんもんこなり)」の九字を書き、寸角に切って麻袋(祈願者が1日で紡いだもの)に入れた蘇民袋を檀徒の1人が抱き、外に向って「蘇民将来」と3度叫び終るや、裸体の若者達がこれを奪いあい、堂の外陣は八方から袋を目がけて飛びかかる肉弾相うつ、るつぼと化します。
堂の外陣でひともみもんだ挙げ句、裸形の群は堂外へ潮のごとく押し出されてきます。氷点下、寒冷積雪の中で、西に奔り、東に飛んで、生きものの如き袋の行く方を追って奪ったり、奪い返えされたり、汗みどろの争奪戦が明け方までくりひろげられます。
かくて激闘3時間近くに及び、ようやく夜が明けそめる頃、取主が凱歌を挙げる時刻となり、袋を奪った者が五穀豊穣が約束されるという。
黒石寺蘇民祭に参加した人の感想
身体に自信が無いと、参加はつらいですね。各地の裸祭りの中でも過酷さではずば抜けています。
最初に行う裸参りは水垢離と境内のお堂巡りを3回繰り返しますが、それだけで1時間ぐらいかかります。その間、猛烈な寒さの中、ふんどし一丁の裸で体はびしょぬれで耐えなければなりません。
翌朝の争奪戦まで、休憩をはさみつつ、夜通しでいろんな行事が採り行われるわけですが、寒さと眠気に耐えかねてか、参加者も見物人も裸参りだけで帰る人が多数です。
昔は、夜通し裸で耐えたということを、地元の人から聞いたことはありますが、今は各行事の合間の1~2時間の休憩中、参加者は服を着て待っていて、時間がくると脱いでという感じです。
上半身だけ裸で下はズボンと長靴という人もいます。
私自身は過去に1度だけ「一晩中裸」に挑戦してみたことがあります。
とにかく体力的にはつらい祭りですが、興味があるなら、裸参りだけでも参加してみてはいかがですか?
★ほかの参加者はこうも語っています。
蘇民祭に参加したが、肌身で感じた「寒さ対策のアドバイス」をお伝えしたい。
結論から書こう。何やっても無駄である。
ただし、ひとつだけ用意したほうが良いのかも?的なアイテムがある。それは「予備の足袋」である。
水の中にザブンと入る「裸参り」で足袋はグッショグショのズブ濡れ状態。寒さの中でも強烈なのは足元なので、裸参り以降の行事に参加するならば新たな足袋を用意しておくと良い。