八代市の妙見さんでは氷の朔日(ついたち)、毎年5月31日夕方から翌6月1日に氷室祭りというお祭りが行われます。
氷室祭りのはじまりはいつごろ?
この祭りの起源は、350年以上も前にさかのぼると言われています。
1632(寛永9)年に細川忠利(ほそかわただとし)が、肥後の藩主として熊本城の城主になった時、その父親である細川三斎が、八代城の城主として八代に来られました。
その三斎が妙見宮に参拝した時に、無病息災(むびょうそくさい)を祈って、八代市東町の三室山につもった雪を、献上したのが始まりと言い伝えられています。
のどかな水田の風景が広がる八代(やつしろ)平野は、米の産地として知られています。そんな米の産地ならではの伝統菓子が、八代神社(妙見宮・みょうけんぐう)で行われる「氷室祭」で、年に一度だけ作られています。
その名も氷室祭の名物「雪餅」といいます。現在では雪に変わる「雪餅」を食べ、無病息災を祈願します。還暦や厄年を迎えた人達が無事を願う祭りとして有名です。
氷室祭は夜通し行われる祭り
氷室祭は毎年5月31日から6月1日にかけて、夜通し行われる祭りですが、お祭りといっても、神輿(みこし)をかついだりするのではなく、妙見宮への参拝者が次から次にきて、無病息災などをいのり、お祓いを受け、帰りに名物の雪餅を食べたり、買って帰ったりして、1年の無事をいのるだけです。
「雪餅」は、米ともち米の粉(こな)をおおよそ半分ずつ混ぜ合わせて、その中にあんを入れ、セイロで蒸します。
普通のもちと違うのは、つかずに粉から作ったものを蒸すということです。素朴なお菓子です。
昔は「こっづいたち」(八代地方では、この日を「こっづいたち」と言うことも)になれば各家庭で雪餅を手作りしていたそうですが、今では年に一度の祭りの名物となっています。
「こっづいたち」には境内に人があふれ夜明けまで
31日の夕方には露店が並び、セイロから湯気が上がります。
お祓いを受けた厄入りや厄払いの人々や雪餅目当ての家族連れなどで、境内には人があふれ、そのにぎわいは夜明けまで続きます。
露店では、次から次へとセイロが開けられ、用意された席で熱々の雪餅を食べる人々の姿は絶えることがないそうです。
「この一年、無事に過ごせた喜び」と「また来年、雪餅を食べるまでの無事を願う」氷室祭は、年越しのような節目となる1日だと思われます。
やがて、「こっづいたち」の夕暮れがくると、寂しいほどの静けさに包まれる八代神社。
氷室祭が終ると、八代では田植えの準備が始まるそうです。
★交通アクセス★
[車] :九州自動車道「八代」ICから約5分
[JR] :「八代駅」からバス約10分、「宮地」下車すぐ